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お知らせ

長崎ローカルの話題ですが、ローカルテレビ局の番組で高島特集があります。

NIB長崎国際放送 「ひるじげドン」
7月26日(土) 午前11時35分~午後1時
「あの街この町」というコーナーで高島が紹介されます。

長崎にお住まいの方は見て下さいね。

2週連続高島特集だそうです。8月2日(土)放送もご覧ください。

[ 2008/07/25 10:50 ] 長崎 | TB(0) | CM(44)

おさむさん

ひるじげ 観ましたょ 高島って今も生きてるって感じで頼もしかったです 島を支えている方々にも 感謝です。おさむさんのお顔も拝見出来ました このサイトも高島っ子の心の寄り処なんですょね 感謝 感謝です
[ 2008/08/08 20:11 ] [ 編集 ]

ありがとうございます。
急に出ることになって、あっという間に終わってしまいました。もうちょっと、ましなことを言えれば良かったんですが。
[ 2008/08/09 15:33 ] [ 編集 ]

行ったことあります。

こんにちは、はじめまして。神戸在住の県外者・部外者ですがよろしいでしょうか?
高島へ行きました。2003年の7月下旬です。
1986年東京に転勤してまもなく朝日新聞の社会面に高島炭鉱閉山の記事が出ました。
小さな記事でした。なぜか関心があって切り抜いてスクラップ帳に保存していました。
三池とか夕張とかと違って、名前は聞き知っていてもどこにあるのかわからず気にかかっていました。
2003年3月名古屋に転勤したとき長崎県の小さな島だとわかりました。海底の炭田だったの
ですね。
[ 2008/08/15 12:50 ] [ 編集 ]

喬さん、いらっしゃいませ。
高島に関心を持っていただいて、嬉しく思います。
2003年というと、市町村合併の少し前になりますね。閉山前の賑わいはありませんが、これからもよろしくお願いします。
[ 2008/08/15 17:39 ] [ 編集 ]

おさむさん

ありがとうございます。こちらこそ
よろしくお願いいたします。
おっしゃるとおり、私が行きました
時は確かまだ西彼杵郡高島町だったかと思います。フェリーの船着場から
近いところに、ごへいたさんという
宿があって(役場の横でした)そこに
宿泊しました。すぐ前に海が見えて、
ハイビスカスなんですかね、赤い花
が印象的でした。南国に来たような
気がしました。
[ 2008/08/17 22:49 ] [ 編集 ]

「ごへいた」は現在も営業しています。ハイビスカスは島に住んでいた頃は無かったように記憶しています。鮮やかな赤色で島に良く似合う花になっています。
[ 2008/08/19 10:34 ] [ 編集 ]

おさむ

島の船着場で下船した時、大勢の子供達に会いました。何かスポーツの大会か合宿練習かに来ているという様子でした。来る前に、役場にTELして50周年記念の冊子を送ってもらっていましたし、多少話しも聞いていましたので島が変化していっているというのは聞いていましたが。TELでの役場の人の口ぶりからは、石炭の島という痕跡をできるだけ払拭したく思っていらっしゃる印象を受けました。
ちょっと不安になりましたが現地に行ってみなければ、わからないよと思い直して、来たものです。
[ 2008/08/20 07:28 ] [ 編集 ]

おさむさん

おさむさん たいへん失礼しました。TITLE のところで 規定値から入力して誤って さん を 抜かしてしまってました。
[ 2008/08/20 09:49 ] [ 編集 ]

あ、気にしませんよ。
スポーツの合宿など出来るように、グラウンド整備しています。
新しい島に生まれ変わろうとしていたんだと思います。
[ 2008/08/20 19:09 ] [ 編集 ]

おさむさん

着いたのは午後5時前後と思います。
ごへいたさんの外で、近所の方とおぼしき女の人に炭住は残っていますかと尋ねました。跡地が残っているらしいとまではわかりましたが場所は地図が頭に入ってないのでピンと来ません。夕食を戴いてから裏山に登ってみました。坂の途中に住宅があり、頂上には展望台がありました。周りは海。島なんだと実感しました。方向はよくわかりませんが陸の影と漁灯が点々と見えました。
[ 2008/08/21 11:26 ] [ 編集 ]

その時期はほとんどの炭住は解体されていたと思います。
かつては、一晩中灯りの絶えることは無かったんですよ。
[ 2008/08/21 21:40 ] [ 編集 ]

おさむさん

一晩中灯りの絶えることが無かったころ権現山の山頂から見たらどんなだったでしょうね。
今思い出しましたが、そういえば星が近くてきれいだと感じていました。                    明かりが少ないせいだったのかも知れません。
[ 2008/08/22 08:17 ] [ 編集 ]

海が暗い分、夜空の星は奇麗に見えると思います。子供の頃は満天の星空を見ていました。
[ 2008/08/22 15:04 ] [ 編集 ]

おさむさん

次の日の朝食事を戴いてから島を巡ってみることにしました。海岸手前の道路わきに自転車屋さんがありました。気さくな方でした。そこで自転車を借りました。海岸に沿って行きました。バスと出会いました。路線バスのようです。周囲3KMぐらいの島と聞いていましたので少しおどろきでした。今思うと、観光バスでもあり路線バスでもあるという感じがします。人工の浜のようなところへ出ました。海水浴場です。道なりに左へ曲がって海岸線を走って行くと防波堤のようなものが突き出ていました。小島のようなものが先端にあります。、今は磯釣り公園ですが 後で写真で見ると 昔は完全に本島と分離しています。文字通り飛島だったのですね。
[ 2008/08/25 10:40 ] [ 編集 ]

>喬さん
まさか、あの飛島まで橋が架かるとは、昔は思いもしませんでした。子供の頃は泳いで渡っていたんですよ。
[ 2008/08/25 14:45 ] [ 編集 ]

おさむさん

へえ、泳いで渡っていたんですか?潮の流れもあるでしょうし、大人でも結構、距離もありそうです  。リンク先の飛島磯釣公園を訪問してみましたが魚種もいろいろあるんですね。釣果を前にしてのスナップなど見ると大きいのも釣れています。防波堤だけでなく桟橋・釣台と分かれているんですね。
実は管理事務所があって入園料がいるし、釣人でないと入れないと思って先まで行かなかったんです。
[ 2008/08/26 22:51 ] [ 編集 ]

釣り公園は大物も釣れていますよ。最近は釣りもしていないので、やってみたいと思っています。
[ 2008/08/27 14:38 ] [ 編集 ]

おさむさん

釣公園のところからはたぶん登り坂だったと思います。平らな所へ出たら4階か5階建ぐらいの建物が右手にありました。人の気配はありません。炭住跡かなと思いました。
[ 2008/08/28 08:20 ] [ 編集 ]

人の住んでいない建物は少しずつ撤去されていますから、あの建物も無くなると思います。
[ 2008/08/29 12:40 ] [ 編集 ]

おさむさん

そうですね。撤去費用はかかっても未来のためにいったん更地にするということですね。島全体が軍艦島という石炭の歴史的モニュメントなので自然の劣化に任せるという端島とは方策も異なってくるのでしょう。さびしく思う人もあるでしょうけれど。
[ 2008/08/31 23:28 ] [ 編集 ]

そのままにしてても、危険なこともありますからね。
[ 2008/09/01 16:21 ] [ 編集 ]

おさむさん

その後、道順は定かでないですがひらめの養殖場と看板があるところの傍の道に立っていたことを覚えています。
丘の上に向かって階段がありました。登って行くと段々畑になっています。
たぶん炭住跡だと思いました。草が生い茂っているのや、よく手入れされて立派な畑になっているのやさまざまです。5-6段ぐらいだったでしょうか。海を眺めました。
[ 2008/09/03 08:44 ] [ 編集 ]

日吉岡から本町にかけてのバス通りです。沢山の炭住があった辺りです。
[ 2008/09/04 10:55 ] [ 編集 ]

おさむさん

やはり炭住跡ですよね。1975年当時の航空写真を見ていますが、確かにたくさんの集合住宅が寄り集まっています。                                                     ここから先、アップダウンの道だったと思います。バス道?そうですね。坂を下りきる手前に屋根付きのバス停もありました。宿から海水浴場に行く海岸沿いの道でバスに出会いましたがこの道では見かけなかったです。
今でも島を周回しているんでしょうね。
[ 2008/09/05 22:47 ] [ 編集 ]

バスは現在も島内を循環運行しています。
詳しい運行状況は未確認です。
あの航空写真は良い資料になっています。
[ 2008/09/06 13:49 ] [ 編集 ]

おさむさん

安心しました。往時と比べて台数・本数は減っていてもやむなしとは思いますが、車・自転車と交通手段
がある中で、バスが今も健在で住んでいらっしゃる方々の足として活躍しているのはうれしいことです。
航空写真、撮られた年度を異にして何枚かありますね。形が、ザリガニか昆虫のクワガタになんとなく似ているようにも思えます。でも、どういうわけか地図にあるように北を上にして撮られた写真は少ないのではないでしょうか?
[ 2008/09/06 22:48 ] [ 編集 ]

航空写真は飛行機の飛んでいる方向によるんだと思います。地図におこす時に修正するんじゃないでしょうか。
[ 2008/09/07 10:36 ] [ 編集 ]

おさむさん

それには思い至りませんでした。
早速、私もパソコンの転回機能を使ってその航空写真を北が上になるように(小島漁港が上側になるように)修正しようと思いましたが90度の倍数でしかできない設計になっています(Window XP)。45度ならうまくいくんですけれど。
[ 2008/09/08 07:15 ] [ 編集 ]

ワタシも詳しくないので、ちょっと良くは分からないんです。
[ 2008/09/09 11:23 ] [ 編集 ]

おさむさん

ひらめの養殖場と漁港のところは入り江というほど狭くはなく鍋の底のような湾のようになっていていい地形だと思いました。でも台風の時はどうなんですかね?どうだったかよく覚えていあせんが張り出した両端の一方か両方から防波堤・防潮堤があってもよいのでは、と今ふと思いました。以前に西彼杵半島外海の海岸を車で走ったとき丁度台風が来ていて道路まで波しぶきがかかって来てました。
[ 2008/09/10 09:49 ] [ 編集 ]

私が住んでいた時よりは防波堤は整備されています。台風の時は過ぎ去るのを待つしか無いでしょうかね。
[ 2008/09/10 14:37 ] [ 編集 ]

おさむさん

漁港を見下ろす道の左手はかなり急な勾配の斜面に民家が集まっています。
坂を下る途中の道路面より低いところに畑があり、中年の男性が出ておられました。少し会話をしました。今は県外に住んでいるが法事か、夏休みかで帰ってきていらっしゃるとのこと。
それにしても、この辺りが本町という地名なのが興味深いです。日本全国に共通するのではないかと思いますが本町というと割りと早くに開けた古い町並みのあるところというイメージではないでしょうか?逆に、後発のたとえば電鉄会社が沿線の不動産開発と新しい路線開発をいっしょに進めてできた街は新築家屋やマンションが立ち並んでいます。最初炭住と聞くと、木造の住宅が林立しているように思っていましたが、ここではマンション風の集合住宅ですね。それで本町の家々を見ていると何か懐かしい感じがしました。
[ 2008/09/11 22:50 ] [ 編集 ]

飛石さん

炭坑開発前は小さな漁村として、人が住み始めたんだろうと思います。少ない宅地に多くの島民を住わせる為、高層アパートの建設を計画したんでしょうね。
[ 2008/09/12 14:25 ] [ 編集 ]

おさむさん

高層アパートとはよく言ったものですね。私の子供のころは平屋の家に住んでいましたが、田舎だったもので団地と言う言葉の響きには都会的なものがありました。団地族という言葉もできて来て、『サラニーマンが住んでいる。そこの子供達は街に住んでいて、便利で文化的な環境を享受し家の手伝いをしなくてもいいんだ』というようなイメージを持っていたように思います。今は田舎で暮らしたこと自体が大きな財産だったと思えますが。
高島もそうですが端島なんかは日本全国に先駆けてというくらいに早くから高層アパートが建てられたのではないでしょうか。人口密度からしたら日本一?
[ 2008/09/13 08:42 ] [ 編集 ]

人口密度は高かったでしょう。手元に資料が無いので、日本一かどうかははっきりしませんが、そう言われていたようです。
地下に坑道を掘る技術があれば、高層アパートも建てられたのだと思います。
[ 2008/09/13 14:36 ] [ 編集 ]

おさむさん

それから坂を下っていきました。旧グラバー別邸跡の案内表示がありました。
先の方に眼をやると白っぽい浜のようなところにそれらしいものが見えました。邸跡自体には興味はなかったですが、高校の時の修学旅行で寄った長崎のあのグラバー邸のグラバー氏がこんなところになぜ別邸を?と思っていました。北渓井坑跡も見ました。聞いてはいましたが場所は知らなかったので
こんなところにという感じでした。林の中にフェンスがあってその中に四角いマンホールのようなたたずまいでした。グラバー氏と炭鉱史との関係は後で知りました。今日『小島で泳いだ後北渓井坑跡で体を洗った』話を読み小島は以前は島で今は陸続きになっていることもわかりました。小島漁港という名前もなるほどと思っています。
[ 2008/09/15 08:47 ] [ 編集 ]

飛石さん

『小島で泳いだ後北渓井坑跡で体を洗った』井戸が北渓井坑跡の井戸だったのかは不明です。北渓井坑跡の位置から考えると、手前にもう一つ、井戸があったようにも思えます。ちょっと、記憶があやふやなのと、当時の建物が存在していないので、不確かです。
建っていた頃のグラバー別邸の写真が見つからないのが残念です。
[ 2008/09/16 14:29 ] [ 編集 ]

おさむさん

ずっと昔のことですものね。その意味で歴史を風化させない為にはやっぱり何か物的事物が『思い出すよすが』として必要だということになりますね。
あと、北渓井坑の他に南渓井坑もあったんですってね。全く知らなかったので訪れることはしませんでした。
それと興味深いと思ったのは長崎県の大半は佐賀藩だったんですね。明治維新の勤皇派として薩長土肥連合を組んだ外様大名と書いてました。スコットランド出身のグラバー氏が支援して、貿易商として利益を得る為でもあったでしょうが武器等を調達したとも書いてました。そのグラバー氏が高島の石炭の権益を佐賀藩から譲渡されたということですね。因みにスコットランドは今はU・Kの一員ですがイングランドに対しては複雑な感情を持っている人もあるようです。
[ 2008/09/16 22:01 ] [ 編集 ]

>飛石さん
南洋井坑は薮の中にレンガ作りのモノが残っています。人目には付きにくいです。
あの当時、日本に来た外国人は一旗揚げようと、やって来たのではないでしょうか。
[ 2008/09/17 14:19 ] [ 編集 ]

おさむさん

南洋井坑のことありがとうございます。思わず南渓井坑と書いてしまいました。ところでこれは島のどこにあるのですか?少なくとも北渓井坑よりは南側でしょうけれど。
台風13号が接近して来ました。風力はそんなに強くはなさそうですがシケや雨量には注意ですね。
[ 2008/09/18 08:46 ] [ 編集 ]

>飛石さん
北渓井坑から見て島の反対側になる港側の方になります。少し登った辺りです。
台風はこちらには影響は少ないようです。
[ 2008/09/18 13:24 ] [ 編集 ]

おさむさん

台風なんとか過ぎて行きました。
南洋井坑跡の件、おさむさんのブログのALL-A北渓井坑跡(03/10)からリンクのKUROSAWAさんのブログを見てみましたら写真入りで説明もありまた。
きれいなレンガ造りです。おさむさんの言われる少し登ったところというのがメインの道から少し外れたところということですね。あの時わかってたら見ておきたかったと思います。それにしても北渓井坑と南洋井坑、漢詩の対句のように簡潔で含蓄のある四文字ですね。南の方が四年遅く開発され逆に閉鎖は早かったと読んでわかりました。
ところで五平太という人が初めて石炭発見を発見した場所ってどこかに標識があったようにも思いますが気のせいでしょうか?
[ 2008/09/19 22:06 ] [ 編集 ]

飛石さん

>ところで五平太という人が初めて石炭発見を発見した場所ってどこかに標識があったようにも思いますが気のせいでしょうか?
「五平太」と言うのは伝承の中の人物だと思います。標識はあるんですかね?
[ 2008/09/21 14:47 ] [ 編集 ]

おさむさん

元禄8(1695)年、長崎港外の高島で、五平太という平戸の領民が、海岸で魚を焼き石が燃えるのを知ったのが、高島炭鉱の発見とされる。(「石炭史話」より11))とありました。まんざら作り話でもなさそうです。佐賀藩がグラバー氏と共同で北渓井坑を開発する前も需要はあって採掘はされていた
ようですね。発見場所がどこであっても文字通り『想像と記憶』ですね。
[ 2008/09/21 19:11 ] [ 編集 ]

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