4月1日

明治14年(1881)
三菱高島炭坑事務所を設置、祝宴を開く
「後藤炭坑商局」の名は廃され「高島炭坑事務所」と改称、継承当日の4月1日は半休となり、2日は炭坑譲受け披露のため、高島では花火が打ち上げられ祝宴が開かれた。
この頃、日産700トン、3,000人。婦人後山は僅少で雑用程度。

明治22年(1889)
高島役場を開設
明治21年4月17日市町村制の公布により「戸長役場」を改め、三軒町に村役場を開設する。
その後、若衆谷(現北渓井坑地の側)に置き、明治45年6月尾浜の山腹の会社社宅を譲受け、大正元年8月12日に移転する。昭和30年3月12日光町の新庁舎に移転、平成9年11月4日現在の新庁舎に移転し業務を開始する。

初の村議会議委員選挙を執行
初代村長に難波安積氏(戸長より)が選定され、村会議員18名が当選した。有権者1級26名、2級108名。

昭和16年(1941)
高島尋常高等小学校が、法令改正で、高島村国民学校となる

昭和22年(1947)
法令改正で、校名を改称
初等科→高島村立高島小学校
高等科→高島村立高島中学校
六・三制度で、小学校修了者は全て中学校に進学が義務化された。

昭和23年(1948)
炭坑労務者向け物資のリンク制を実施
主な物資は、他産業より最優先に支給されていたが、今回より点数制に切替えられた。数列を記せば、
直接夫 作業着、66方で1着。
    地下足袋、26方で1足。
坑夫外 20方まで出勤者1方→4点。
    21方以上、1方→7点。
国産煙草、10本が2点、砂糖100gが6点。

昭和24年(1949)
新組合再度発足
分裂以来丁度一年、一本化なる。
新組合第1回委員会を開催し、専門部長を選出し、新組合正式に発足。

朝顔丸が進水
清水並びに従業員運搬船として、5月26日竣工(長さ36m、幅7.2m)。昭和49年9月30日廃船。

昭和25年(1950)
高島保育園を開園
小学校敷地内に、総事業費1,400千円(うち国庫700千円・県費350千円)で木造平屋建(面積752.4㎡)を建築し、定員220名で開園する。49年園児の減少により廃止し、8月建物を解体。

高島保育所を開所
小学校体育館の海岸際に、総事業費2,200千円(うち国庫700千円、県費350千円)で、24年8月に着工、25年4月完成、木造平家建(面積380.16㎡)定員120名で開所されるが、43年体育館改築のために解体。新しい保育所を、43年10月現在地(現・病院横)に着工、44年3月完成し移転。

昭和27年(1952)
洋裁学院を開設
小学校敷地内の山側の校舎に、定員100人で開設されるが、30年には尾浜の旧役場跡に移転し、45年まで続けられ、45年6月よりは教育委員会の婦人学級技術講座として開設。

町立図書館を開館
洋裁学院と同一建物内に開館し、33年に旧尾浜斜坑の捲座建物跡(元外勤詰所上)に移転。53年3月に勤労福祉会館内に移転。

昭和29年(1954)
蛎瀬地区発足
今まで光町と呼んでいたが、アパート建築による人口増加に伴い独立した地区として発足。

昭和30年(1955)
高島町と高浜村端島が合併
端島が高浜村に所属することは、極めて不便が多く、同じ砿業所である関係上、高島へ合併したいというのは多年の要望であったが、昭和28年10月町村合併促進法が公布され、長崎県の審議会に於いても、高島町と高浜村端島名の合併を全国異例の合併対象として決定。

町監査委員会を設置

公民館運営審議会を設置
住民の生活、文化振興、社会福祉の推進を目的に設置、委員は10名以内で、任期は2年。

西高高島分校を、分校長制に
初代主事は石塚裕中学校長、26年よりは2代目主事として、本川友市中学校町就任し、今回初代分校長として県学校教育課より指導主事を兼ねて、兼俵恒治氏が着任。

昭和32年(1957)
端島大火、落成前の新校舎など被災
木造の旧校舎当直室より出火し、旧校舎及び隣接の端島病院をも全焼し、6階建新築校舎並びに、65号アパートの一部を類焼する大火となり、宿直の先生1名が死亡。

昭和35年(1960)
県立長崎西高等学校高島分校が独立校として発足
県立長崎西高等学校より定時制普通科として独立し、初代校長に竹下貞雄氏が就任。同校は37年に全日制普通科に昇格し、40年3月に定時制普通科を廃止。

先の谷公園が完成
元来中学校運動場として、33年3月着工、33年5月31日グラウンドが完成し中学校が使用していたが、休息所・日陰棚・水飲場などを設置。面積0.97haの先の谷公園として完成。総事業費30,990千円。

砿業所、長崎市に宿泊所を設置
砿業所は従業員の長崎宿泊所を拡充するため、市内片淵二丁目の元崎戸の職員宿泊所を開放。

昭和36年(1961)
高島港駅として開設
3月23日付日本国有鉄道公示第90号、同日付で総裁達127号で開設。

昭和37年(1961)
社船夕顔丸廃船
3月31日お別れ最後の航海として高島を一周、一生の幕を閉じた。同時に、屋島丸・高島丸も勇退。船舶事務所を廃止。夕顔丸は佐世保で解体される。

さつき保育園開園
緑ガ丘の盆地に、総事業費4,144千円(このうち国庫700千円・県費350千円)で木造平屋建(面積264㎡)3月30日落成。4月1日定員40名で開園。44年6月さつき児童館として転用したが、49年3月に廃止。

高島高等学校、全日制普通科に切り替え
3学級135名でスタート。

中の島公園完成
35年12月1日中の島水上公園として着工、総事業費9,994千円、展望所・広場・船着場などを設置、面積4.2haの中の島公園が完成。

昭和43年(1968)
権現山公園が完成
権現山の中腹に、第1期工事として38年1月着工、面積5.4ha、広場・水飲場などを設置、総事業費12,200千円。

昭和45年(1970)
心身障害者集会所若葉園完成
本町道側に、心身障害者(児)の福祉施設として、総事業費4,000千円(このうち起債1,700千円)で、木造平屋建、面積111.79㎡の機能回復施設を設置した若葉園を建設。

心身障害者(児)見舞金支給制度を実施

学童等災害共済事業を開始

昭和46年(1971)
町設市場が光町に完成
総事業費40,200千円(うち起債35,000千円)で鉄筋コンクリート及び鉄骨造2階建、面積870.56㎡の町設市場を建設。1階は常設市場、2階は行商人用売場。

昭和47年(1972)
町公取扱店、親和銀行に変更
従来の取扱銀行の十八銀行から親和銀行へ変更。

老人医療費助成制度を実施

昭和48年(1973)
山神祭記念行事を開催
3月31日に浪曲・女流奇術演芸会、4月1日NBCのど自慢大会、深町一郎とNBCブルーアンサンブル公園を開催。

長崎地域広域市町村圏に指定

心身障害者(児)医療費の助成制度を実施

難病医療費の助成制度を実施

乳児医療費の助成制度を実施

通院に要する交通費の助成制度を実施

誕生祝金の支給制度を実施

母子世帯児童手当の支給を実施

身体障害者家庭奉仕員を設置

昭和49年(1974)
山神祭行事として、三田明歌謡ショーを開催
町主催で、三田明歌謡ショーが昼夜2回、入場料200円で開催。

出産費用の貸付制度を実施

小島駐車場が完成
本町Eアパート前に収容台数20台の小島駐車場を建設。

昭和50年(1975)
高島幼稚園が開園
小学校横に、49年11月16日起工式を行った幼稚園が、総事業費90,815千円(うち国庫17,731千円、起債25,000千円)鉄筋コンクリート一部2階建(面積633㎡)が完成し、定員160人に対して132人が入園。7日に入園式と開園祝いを行う。初代園長に大崎文裕教育長が就任。

昭和51年(1976)
西海岸公園が完成
総事業費66,819千円で、48年6月に着工し、管理棟・砂場などを設置した、面積2.4haの西海岸公園が完成。

昭和55年(1980)
高島町立幼稚園2年保育を実施

幼児の通院に医療費を支給

昭和56年(1981)
通院に要する交通費の助成が月4往復に改正

身体障害者の医療費助成を改正

昭和57年(1982)
町立病院として事業を開始
55年4月12日、町で建設にかかり、本年1月より砿業所病院として運営していたが、4月1日より町立病院として運営を開始。

昭和59年(1984)
光町Aアパート入居開始
町では小規模炭住改良アパート(Aアパート)を3億2,800万円で1棟、5階建30戸を建設し、砿業所従業員の光町木造住宅居住者を優先して入居させる。

心身障害者見舞金を増額

昭和62年(1987)
高島町立病院の規模縮小、6科を3科に縮小

昭和63年(1988)
光町・百万マンモスアパート(3号アパート)町営住宅に移管
家賃5,200円

平成元年(1989)
高島町立病院を町立診療所に縮小して発足

上水道事業を簡易水道事業に切替える

町営住宅に家賃に消費税を加算


平成2年(1990)
高島、過疎地域活性化特別措置法に指定地域に

ゴミ収集、週6日を週3日に変更

平成3年(1991)
高島興産(株)が高島シーテックスに社名変更

平成4年(1992)
町奨学資金給付条例を制定

平成5年(1993)
町職員7名を新規採用
職員の新陳代謝を図るための希望退職者の欠員補充を、採用試験の結果7名(男3名・女4名)を採用。

高校教職員官舎(日吉岡)を県より無償で譲渡

平成6年(1994)
町、課の統廃合などの機構改革

町、新規職員を採用

町、定住促進条例を制定

環境美化の推進に関する条例を制定


平成7年(1995)
高島小学校と中学校が併設校となる
7日入学式後、併設式を行う。小学生39名、中学生19名。

旧小学校体育館並びにグラウンドを一般に開放

平成8年(1996)
ゴミの収集日が、月・水・金に改正

平成9年(1997)
新町章を使用開始

平成10年(1998)
南風泊漁港に、ふれあい橋が完成
水産会館との間に、魚の形をした橋が完成し、「ふれあい橋」と命名され、新園児6名の渡り初めが行われた。
[ 2007/04/01 07:24 ] 長崎 | TB(1) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://akanecafe.blog120.fc2.com/tb.php/807-520ae6a5


島とか

端島小学校がある。(ただし、1988年から2000年まで児童がいないため休校となっていた。)2000年、2名の新一年生の入学とともに10年の歳月を越えて学校がよみがえった。現在は3名の児童が多くの人達に支えられ、豊かな自然の中でのびのびと成長している。・4月1日・1972 青
[2007/04/21 13:12] URL 島とか