8月1日

大正11年(1922)
大正10年12月18日進水の戦艦「土佐」はロンドンの軍縮会議の結果、建造中止
大正11年8月1日夕顔丸他曳船4隻に曳航され、伊王島北方で警備艦に引き渡される。後日、「土佐」の縁りの地、四国土佐沖で魚雷の実験標的となり海底深く沈んでいった。マストが記念として、立神の丘に建立されている。

昭和21年(1946)
高島労組九全連指令のゼネストに反対「生産闘争」第一主義を表明
九州全三菱炭坑労働組合連合会(九全連)は6月28日結成、同時に17項目の要求を九州場所長会に提出、7月31日14時に傘下17炭鉱にゼネストを指令、高島労組は端島・方城・勝田と共にゼネスト反対、生産第一主義で要求貫徹すると声明文を2日組合長名で発表。

救国石炭増産運動(~31日)
目標突破報奨金として、坑内夫180円・坑外夫90円(内50円は封鎖)を支給。

昭和25年(1950)
保安規定を実施
24年8月12日鉱山保安法が施行され、それにより細部について種々審議の結果、6月8日認可となり、8月1日より実施。

高島協和会館で、初のストリップショー
この頃、映画は月に27本(日変わり)中6本は洋画を上映。

昭和33年(1958)
山手地区発足
蛎瀬地区が、610余世帯となったのに伴い分離して、蛎瀬地区の向かい側地区の210余世帯を独立させ、地区名を一般公募し、光町の田中氏の「山手町」を採用し発足。初代区長に松浦氏が就任。

昭和35年(1960)
緑ヶ丘地区発足
山手地区に次々とアパートが建築され、広大な地区となったので、今まで山手B地区と称していた29号から35号アパート群を、一般公募により「緑ヶ丘」地区と名付けて新しく発足。名付け親は。小国さん(蛎瀬)。

昭和41年(1966)
高島郵便局、私書箱を開設

役場が私書箱第1号。

平成6年(1994)
長崎平和記念協会の親子、一泊で来島
小9名・中6名・高1名・父兄8名・計24名来島、島内見学後、福祉会館に泊。夜は石炭を燃やし、その火で花火遊び、翌2日は、本町教会でミサ後、プールで遊泳し、午後の便で帰る。

平成7年(1995)
熊本県、高校社会科担当の先生が来島
20名、7時50分着で来島。ちょうど北海道に体験学習に出発する中学生を見送りの町長の歓迎の挨拶の後、教育委員会職員の案内で2班に別れ島内を視察。

平成8年(1996
「島の日」イベント、大波止ターミナル前で、高島町も出店

峰商店出店のほか、高島町職員によりパンフレットを配布。

平成9年(1997)
高島青空楽校開催

「島の日」の恒例行事となったが、長崎市及び近隣町から小中学校生200名参加。町長の話、救急法の指導の後、海水浴場で砂遊び、ゲームなどを楽しむ。

FM東京の任期番組「ヒルサイドアベニュー」が生放送
人気DJの小川モコと長崎FM香月アナが来島し、海水浴場から生放送されるが、県外からの「おっかけ」が来て大盛況。

平成10年(1998)
高島青空楽校を開校
島の日恒例行事となり、今年も長崎市より子供140名、引率30名が来島し、釣り公園、海水浴場で交流。昼食は食改善グループのカレー、午後は救急法の講習が行われた。
[ 2007/08/13 09:19 ] 長崎 | TB(0) | CM(0)

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